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教育改革10か条
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はじめに
教育改革10か条
「新教育」に求められるもの


教育改革10か条
 
[1] 政治に強力な指導力を
文部科学省は、なぜ教師の勤務評価ができないのか。なぜ全国学力テストができないのか。なぜ「日教組」に弱腰なのか。なぜ国旗や国歌で大混乱しているのか。

国民から見ると、政府や文部科学省はこっけいな程指導力に欠けている。
この指導力の確立は教育改革の第一歩である。


[2] 日本国憲法・教育基本法の刷新
行政が、前項[1]の、国家権力をもってしても指導力を発揮できない理由は、恐らく日本国憲法や教育基本法がネックとなっているものと考察できる。

戦後まもなく、米国主導のもとに制定された現憲法や基本法は、現代社会に適応しないものとなった。
教育改革にあたり早急な改定が望まれる。

[3] 基礎学力重視の教育
先の教育改訂で、小学校の算数・国語が70時間(年間)も削減されたと聞く。もし子ども達の低学力の実態が明らかになるなら思いもよらぬものである。

近年、小・中学校にパソコンが導入された。今度は、英語・総合学科・完全週5日制が導入された。しかも算数・国語を犠牲にして。これは、本末転倒も甚だしいと言わなければならない。

教育の基礎・基本は「読み・書き・計算」である。教育改革にあたって、この点充分な思慮が望まれる。

[4] 教育(学習)課程の再構築
現在の教育課程は、一言でいうなら「拙速・過密」といえよう。その結果おびただしい数の「落ちこぼれ」や低学力の子どもたちを輩出してきた。教育の荒廃を招いた最大の原因でもある。

一例として挙げよう。この問題は、学校で殆んどの子がつまずく難関だ。1年生3学期に、くり下がりのひきざん(12−4)の課程がある。これを計算できる子は少ない。まだ、数概念に乏しく、定着・理解している子はごく僅かだ。
なお、手元の1年生算数教科書には、この学習は僅か6,7ページしかない。習熟するためにはこの10倍のページと学習時間が求められる。

当研究所の調査・研究によれば、現在の小学4年生の学習は、質量とも、常人では許容を超えるものである。この課程を消化吸収できる子は、せいぜい1〜2割に過ぎない。
小学校で、多数(8割以上)の子が「分かる学習」を実現するなら、学習量を大幅に削減し、国語。算数の学習時間を大幅に増やさなければならない。

教育課程は、根本から抜本的な改革を迫られている。

[5] ギムナジウム(ドイツ教育制度)の導入
わが国は現在、100%に近い児童が中学校へ、その中の9割以上が高校へ進学する。これは表面上、世界一の高学歴国となる。然し、実態は、世界一非効率な教育国となったのではあるまいか。

当研究所の調査によると、わが国の中学生・高校生の中には、基礎学力が3,4年生程度の者が少なくない。これはどう見ても日本の教育は正常に機能していないと見られる。これは、戦後半世紀の拙速・過密・悪平等な教育がもたらしたものといえる。

ドイツでは、小学4年生を終了した時点で進路が3コースに分かれる。

【1】大学コース…ギムナジウム、
【2】高等学校…中間階級、
【3】中学校…職業教育

となる。
私案ではあるが、理想の分類は、

【1】大学コース…20%、
【2】高等コース…20%、
【3】職業・技能・芸術コース…55%、
【4】学習障害児コース…5%

と、個性・能力・適正に応じた4コースに分類することが妥当な数値と考えられる。

●コース別進学率
出展 産経新聞、評論家 西尾幹二
 

中学

高校
大学
その他
備考

1940
20
7
3
昭和15年
1998
100
95
30


1965
73
12
15
昭和40年
1980
44
23
24
9
1990
34
29
31
6


[6] 幼児教育に知育を
今、小学校低学年で、「学級崩壊」が深刻な問題となっている。その原因として、家庭や幼稚園・保育園での教育不在を指摘する声が少なくない。特に新指導要領による「自由保育」に弊害があるとも指摘されている。

文部科学省は、なぜ4,5才児に知育(読み・書き・計算の学習)を拒むのか理解に苦しむ。当研究所の教室では幼児教育に30余年の実績と経験がある。入学準備として「文字(50音)」や「10までの数」「考える遊び」程度の学習は必要不可欠で、可能である。また、それは社会のニーズでもある。
教育改革には、家庭・幼稚園・保育園での知育、学習を重視しなければならない。

[7] 小・中学校に「留年制」を
児童・生徒には、「分かる学習」「能力に応じた適正な学習」を受ける権利と義務がある。しかし、残念なことに、永年、この権利や義務は無視され、低学力・超低学力の子たちを輩出してきた。
これは、企業で粗悪な欠陥商品を量産し、上げ底包装で出荷しているようなもので、決して許されるものではない。現今の教育荒廃の一因と考えられる。

留年について先年、ニューヨークで耳にしたことは、小学3年生が4年生に進級する際、進級試験があり、事前に補習、特訓を受け、規定の学力に達しないものは容赦なく留年させるという。また、アメリカ大統領ブッシュ氏は、テキサス州知事時代、「低学力の子を進級させることはおかしい」と思いきり留年させることにした。

ドイツの教育制度は、子どもたちは小学校から、「入りたい学校にはどこへでも入学できる。代わりに、授業についていけない子どもは容赦なく留年させられる。一方、すぐれた実力を発揮すれば『飛び級』も勧められる。」という。
教育改革の新制度は、ドイツにならい、小学生の場合、各学年毎に厳しくチェックをし進級させるべきと考える。
留年制は、学校・家庭・子どもたち三者にとって教育復興の最良の手段となろう。

●ビリからトップへ人々を変えた「留年」

A少年は大正13年、東北の農村で生まれた。12才の春、幸運に恵まれ、7kmほど南にある町の県立中学校に進学した。今のように、自転車やバスもなく、雨の日も雪の日も徒歩で通った。
今では、中学校の数は何十とあるが、当時、県北地方では唯一の県立中学校で、北の県、西の県等からも進学してくるほどで、地方では誇り高き名門校だった。

月日が流れ翌年の春、A少年は、学業不振ということで留年することになった。このとき1年生の10%、10名が留年した。
予期もしない非常事態となったA家では、対応に苦しんだ。通学時間を考慮、町に小さな家を借り、近隣の知人を賄婦として朝晩の世話を頼んだ。また、学習のため、教員資格者を家庭教師に迎え特訓体勢となった。
その後、この努力が実り、中学2年生に進むとき、A少年は見違えるほどに成長し、トップの成績で進級した。信望も厚く2年生・3年生と「級長」を勤めた。

A少年は、中学4年生で航空兵として太平洋戦争に参戦、昭和19年、南方洋上のガダルカナルの戦いで戦死、今、靖国神社の碑となっている。

その後30年の歳月が流れ、かつてA少年のクラスメイトたちは壮年期になっていた。ある日当時の中学時代の同窓会が開かれた。かつて1年生で留年させられたグループも集まった。特にこの留年組の9人は驚くほど大きく成長していた。東京へ出て大企業を創業した者、東京の中小企業の社長、地方都市へ出て中小の企業のオーナー、県議会議員、市議会議員・・・等、各々が出世していた。

この同窓会で留年組の面々が語り合った。
「あいつ(A少年)が生きていたら、代議士か県知事になっていたろうになあ・・・。」「あの1年生のときの留年は本当によい薬だった。」「もし、あの時の留年がなかったら、今の自分はなかったろう」と口々に話し合った。
当日、特に招待した恩師のなかに、1年生時代、煮え湯を呑まされた、「鬼のB先生」もいた。30年ぶりの再会で師弟ともども手を取り合い感涙にむせんだ。

[8] 公立小・中学校に入試制度を
家庭教育力の低下、あやまった自由保育、女性の社会進出、少子化、核家族化、少年非行、犯罪の激増など社会の様相が一変した。

こんな中で育てられた子どもたちが、やがて小学校に上がっていく。小学校低学年では、放任状態で育てられた子が多く、それらが「学級崩壊」の引き金になっているという指摘が多い。

今後、新制度は、小学1年生になる条件として、鉛筆の持ち方、ひらがなの読み書き、10までの数、躾、礼等を試験し入学を許可する。
この程度の躾や学習は家庭教育とする。また、これは、子育ての親や保護者に課す責務とすべきだ。
これで学校教育に対する意識は大変革するものと見られる。

[9] 高等学校・大学教育の改革
1945年(昭和20年)、日本の高校進学率は7%で、当時の大学進学率が3%だった。それが近年信じられない程の驚異的な伸び率で、当時の10倍以上の進学率となった。これは当然、質の低下となり世のひんしゅくをかっている。なぜこのように無秩序に拡散したものか不可解だ。

前項[5]でも述べたように、中・高・大学の望ましい構成比は、中学60%、高校20%、大学20%が妥当な数値とみる。この数値はドイツの1980年当時を参考にしたものである。
大学の運営に当たっては、最高学府としての権威と、また真剣に勉学し、「国家試験(検定)」を入学・卒業の条件とした厳格な学園を世論は期待している。社会生産性本部で実施したアンケートでは、「大学の学生定員を廃止し、卒業を難しく」と答えたものが82%と圧倒的だった。

[10] 25人学級の実現
アメリカの99年度予算教書の発表で、クリントン大統領は、「新たに10万人の教師を雇用し、小学校低学年の1クラスの人数を平均18人に減らして指導を徹底させる」と公言した。

私どもの教室では、小学生15人までは1人の教師、15人を越すと2人の教師、20人を超えると塾長が援護に乗り出し、3人の教師で指導している。

25人学級の場合、最大が25人、最小が13人、平均が19人となり、アメリカ並みとなる。
少子化が進み空き教室が増える時代となった。「25人学級」は可能な数値である。
技術的には、現在の2教室を合わせ、それを3等分に改築し、教室を確保する便法も考えられる。